「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った

サイクリングで駆け巡った彼との45年間

13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在)

城郭および武家屋敷塔については実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。

近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。

なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。

[9] 茨城県① 水戸市

1984.01.03水戸城水戸市

《 弘 道 館 》

1984.01.03 水戸城大手橋から見る弘道館正門…水戸市

1984.01.03 弘道館正門…水戸市

1984.01.03 弘道館正門…水戸市

1984.01.03 弘道館正門…水戸市

1984.01.03 弘道館正門の裏手…水戸市

1984.01.03 弘道館水戸市

 

13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在)

城郭および武家屋敷塔については実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。

近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。

なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。

[8] 群馬県、栃木県

群馬県 高崎市

1985.10.09高崎城の乾櫓…高崎市

1985.10.09高崎城の乾櫓…高崎市

◎栃木県 大田原市

1994.10. 黒羽城…大田原市

1994.10. 黒羽城…大田原市

1994.10. 黒羽城…大田原市
※前の写真と同じ場所で露出調整して撮影したものでブレています

 

13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在)

城郭および武家屋敷などについては実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。

近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。

なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。

[7] 福島県③ 棚倉町

彼が戦国武将で最も好きなのは立花宗茂

そして、棚倉は立花宗茂が大名に返り咲いた地であり、彼が何時かは訪れたいと思っていた地でした。

しかし、いざ行って見ると棚倉の地では存在感が殆ど無いのに驚くばかり。

彼は「立花宗茂が居たと言うだけでも観光PRになるのに」と、贔屓のみの思いで私に話していました。

ちなみに、亀 ケ 城(棚倉城)は立花宗茂が福岡県の柳河(柳川)に復帰した以降に築城されています。

(棚倉城)

1995.03. 亀ヶ城(棚倉城)…棚倉町

1995.03. 亀ヶ城(棚倉城)…棚倉町

1995.03. 亀ヶ城(棚倉城)…棚倉町

1995.03. 亀ヶ城(棚倉城)…棚倉町

1995.03. 亀ヶ城(棚倉城)…棚倉町

1995.03. 亀ヶ城(棚倉城)…棚倉町

 

13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在)

城郭および武家屋敷などについては実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。

近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。

なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。

[7] 福島県② 三春町

彼は学生時代に剣道をしていたが、部活の担当として関東学生剣道連盟の幹事もしており、同連盟の評議員にG大学OBである秋田先輩がおられた。

秋田先輩は非常に気さくな方だったが三春藩主の直系と聞いており、彼は城内に入った時「世が世なら先輩は殿様で、話す事はおろか顔を見る事すら考えられなかったんだなあ」と私に話していた。

2007.07. 三春城…三春町

2007.07. 三春城…三春町

2007.07. 三春城…三春町

2007.07. 三春城…三春町

2007.07. 三春城…三春町

2007.07. 藩講所表門の明徳門。
当時は三春小学校の校門で、今も変わりないと思っています…三春町

 

13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在)

城郭および武家屋敷などについては実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。

近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。

なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。

[7] 福島県① 会津若松市

1974年7月31日

私達がf初めてこの城を訪れた際に見た天守閣の印象は、「デカい」だった。

そして、会津若松市は「1回目の日本縦断」の際、前日に彼と共に生まれて初めて全く知らない方に泊めていただいた地であり、この日も田島町で泊めていただいた事から、会津地方は彼にとって忘れられない地ともなっている。

会津鶴ケ城

1974.07.31 会津鶴ヶ城会津若松市

1974.07.31 会津鶴ヶ城会津若松市

1974.07.31 会津鶴ヶ城会津若松市

1974.07.31 会津鶴ヶ城会津若松市

1974.07.31 会津鶴ヶ城会津若松市

 

13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在)

城郭および武家屋敷などについては実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。

近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。

なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。

[6] 宮城県 白石市登米市登米町

白石市

私達がこの城を訪れた時は復元中で、しかも木造による復元でした。

当時の説明板には「復元に際しては、出来るだけ原型に忠実に復元……」とあったのが今も思い出され、私達はこの考えが理想と思っています。

そして、その後も復元が進められているならば、この考えに基づいて進められている事を私達は願っています。

1994.10. 片倉小十郎景綱公頌徳碑と復元中の白石城
復元に際しては「出来るだけ原型に忠実 に復元」の考えで復元が行われていた…白石市

1994.10. 復元中の白石城。復元に際しては「出来るだけ原型に忠実 に復元」の
考えで復元が行われていた…白石市  

1994.10. 復元中の白石城。復元に際しては「出来るだけ原型に忠実 に復元」の考えで復元が行われていた…白石市

1994.10. 復元中の白石城。復元に際しては「出来るだけ原型に忠実に復元」の
考えで復元が行 われていた…白石市

武家屋敷

1994.10. 武家屋敷通り…白石市

1994.10. 武家屋敷通り…白石市

1994.10. 武家屋敷通り…白石市

1994.10. 小関家。片倉家中の武家屋敷…白石市

登米市登米町

武家屋敷

1997.10. 登米武家屋敷…登米市登米町

大崎市岩出山

有備館

1996.10. 旧有備館大崎市岩出山

1996.10. 旧有備館大崎市岩出山

1996.10. 旧有備館大崎市岩出山

宮城県に於いて私達は、1975年の2回目の日本縦断の際に「仙台城」も訪れていますが、彼は写真をなくしてしまいました。

13.写真に残る城郭、武家屋敷など(※市町村名は2024年6月現在)

城郭および武家屋敷などについては実際に訪れた所が殆どですが、たまたま通り道から見えた城郭を遠望したものなども含めてあります。

近年は城郭の復元が盛んで再訪すると大きく変化しているのが殆どですが、現存する資料に基づいた復元による変化ならば良いが、観光のための建設による変化ならば………。

なお、城郭の標記は「城跡」、「城址」でも「城」としてあります。

[5] 岩手県② 二戸市

二戸駅で東北新幹線から降りて私を組み立てた彼は、「近くに城跡があるから見に行く」という単純な思いで九戸城に向かった。

しかし、見学を終えた彼は「九戸政実の5千と錚々たる武将が名を連ねる豊臣軍6万が戦い、苦戦を強いられた豊臣軍の謀略により落城したそうだ。九戸政実とはどんな武将だろう」と、何気に私につぶやいていた。

そして、このつぶやきは後日に安部龍太郎氏の「冬を待つ城」を読み、理解できたそうです。

2014.07.19 九戸城…二戸市

2014.07.19 九戸城…二戸市

2014.07.19 九戸城…二戸市

2014.07.19 九戸城の本丸跡…二戸市

2014.07.19 九戸城の本丸跡…二戸市

2014.07.19 九戸城。本丸跡か?…二戸市

2014.07.19 九戸城の本丸追手門跡…二戸市

2014.07.19 九戸城の本丸追手門跡…二戸市

2014.07.19 九戸城…二戸市

2014.07.19 九戸城…二戸市