「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った

サイクリングで駆け巡った彼との45年間

3.彼のサイクリングに対する思い

彼は「サイクリングは見知らぬ土地を訪れ見聞を深める手段であり、ただ走るのみにあ

らず」という考えで楽しんでいた。

 

そして、有名な観光地や名所は基本的に訪れていたほか、道路にある案内標識や地元の方から聞いた所も、時間的に差し支えなければ殆ど立ち寄っており、場所によっては鍵も掛けられず荷物もそのままに3~4時間も彼を待つ事も珍しくなかった。

彼は、地元の方の情報はガイドブックやネット以上で確実と言っていた。

 

彼がサイクリングと言う名前を知ったのは小学校の時。

村の仲間たちと一緒に神社で遊んでいた際、みんなで境内で休憩していた2人に「小松から走って来て、大阪に向かう」と聞いた時、小松市が途方もなく遠い場所と思っていたため信じられなかったと話しており、高校2年の時なんとなく県外へ行って見たいと思い、変速機なしの自転車で石川県小松市の入口まで日帰りで往復(約100㎞)した際、遥か彼方の地と思っていた場所へも自転車で行ける事を知ったとも話していた。

 

彼が言うには、計画段階が最も楽しく、走っている時は辛く苦しいのが本音。特に峠越えや向かい風では「来るんじゃなかった」と思うことが殆ど。

しかし、目的地に着いた時の達成感は何物にも代えられず、この達成感が忘れられず次回の計画を立てていた。

また、「現地の人との予想外の触れ合いも大きな魅力」と話していた。

ちなみに彼は上り坂を走る場合、無理してまでペダルを漕いで走る事はなく押し上げが多かったが、年を重ねるごとにこの傾向が増していた。

 

サイクリングに興味を持った彼は、基礎知識と楽しみ方を学んだブルーガイドブックスの「サイクリング(実業之日本社、昭和44年7月30日発行)」とスポーツ・マガジン5 の「すばらしいサイクリング(ベースボール・マガジン社、昭和48年5月1日発行)」の2冊を今も大切に持っている。

 

スニーカーに夏はTシャツと短パン、夏以外は登山服と登山用ニッカーボッカーという昔ながらの服装に一般常識の範囲で楽しんで来た彼は、「最近のサイクリストは見た目は素晴らしいがモラルは非常に低下している」と思っていた。

彼の常識では、走行中に出会った場合は「声掛けや手による仕草」で挨拶を交わすものと思っているが、挨拶しても返す人は殆ど無く、追い抜く時も「こんにちは」とか「お先に」など声を掛けて抜いていくものと思っているが、これについても声を掛けていく人は極めて稀で、団体でもリーダーを含め全員が無言で追い抜いて行かれた。

挨拶について彼は「サイクリングを始めた頃、見知らぬサイクリストの皆さんからして頂いた事を良いと思ったからしているだけ」と話しており、無視されるのを承知で最期までこだわっていた。

また、輪行においては他の利用客の邪魔にならないよう置き、普通列車に置いては側から離れないのが当たり前と思っているが、田舎の普通列車だからか座席の上に置かれている方や、団体の方で通路に寝かせ向かい合わせに座って話をされている方。

野宿において、鉄道の駅やバス停など交通機関の建物で行う場合は、最終便の乗客が居られなくなるまで荷物を広げてはならず、始発前には出発しているか使用前の状態に戻して自転車は屋外に出しておくのが基本と思っているが、最終列車まで複数の便が有るにも関わらず駅舎内でテントを張って寝ておられた方には驚くばかり。  

 

これらは彼が通勤時に遭遇した実例で、自分がサイクリングをしている事を伝えた上で注意したと話していた。

基礎知識と楽しみ方を学んだ2冊