「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った

サイクリングで駆け巡った彼との45年間

12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在)

港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。

なお、船舶は実際に利用したものです。

[7] 東京都⑨ 小笠原諸島 母島、聟島列島 小笠原村

◎母 島

沖 港

この港に降り立った自転車は私だけで、帰路も積載されたのは私だけでした。

1999.02. 沖港…小笠原村母島字元地

1999.02. 沖港のくじらのモニュメント…小笠原村母島字元地

1999.02. 沖港に接岸中の「ははじま丸」…小笠原村母島字元地

1999.02. 「ははじま丸」から見る沖港と乳房山…小笠原村母島字元地

北 港

この港は母島の道路の北端にあたるため行ったもので、私達は利用していません。

1999.02. 北港小笠原村母島

1999.02. 北港小笠原村母島

1999.02. 北港から見る北村集落跡…小笠原村母島

聟島列島

港ではありませんが、1993年の旅行の際はカメラの電池切れのため父島および母島の写真は写せませんでしたが、わずかですが父島に到着する直前の写真があるので紹介させていただきます。

なお、船舶は「おがさわら丸」がドック入りのため、代わって就航した「すとれちあ丸」から写したものです。

1993.12. 「すとれちあ丸」から見る聟島列島の左から北之島、聟島、針之岩、媒島  
                                 …小笠原村

1993.12. 「すとれちあ丸」から見る聟島列島の左から北之島、聟島、針之岩…小笠原村

 

12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在)

港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。

なお、船舶は実際に利用したものです。

[7] 東京都⑧ 小笠原諸島 父島 小笠原村

彼が小笠原諸島を訪れたのは、1993年の正月と1999年の2月の2回。

1993年の1回目は父島に着く前にカメラの電池切れで写真は嫁島までしかなく、1999年の2回目は私との写真を残すための渡島で、いずれも私達は父島と母島を訪れている。

ちなみに船舶は、1回目は「おがさわら丸」が点検に係るドック入りのため「すとれちあ丸」で、1998年の八丈島航路でも利用、2回目は1997年に就航した2代目の「おがさわら丸」だった。

◎父 島

二見港

1回目の「すとれちあ丸」、2回目の「おがさわら丸」が港に着いた時、港で待つ人達から掛けられた言葉は「お帰りなさい」、そして東京に向け出港する際は「行ってらっしゃい」だった。

そして出港の際はいずれの時も「大漁旗を掲げた多くの漁船が外港まで見送ってくれたのが忘れられない」と彼は今も話している。

1999.02. 二見港を挟んで見る大村地区と「おがさわら丸」…小笠原村

1999.02. 夜明道路から見る二見港小笠原村

1999.02. 二見港に停泊中の「ははじま丸」(手前)と「おがさわら丸」…小笠原村

1999.02. 二見港に停泊中の「おがさわら丸」…小笠原村

1999.02. 二見港に停泊中の「おがさわら丸」…小笠原村

1999.02. 二見港に停泊中の「おがさわら丸」…小笠原村

1999.02. 二見港に停泊中の「ははじま丸」…小笠原村

1999.02. 「ははじま丸」の見送り風景…小笠原村

1999.02. 「ははじま丸」の見送り風景…小笠原村

1999.02. 二見港にて出港を待つ「おがさわら丸」…小笠原村

1992.02. ペリー提督来航記念碑と出港を待つ「おがさわら丸」…小笠原村

1999.02. 「おがさわら丸」の見送り風景…小笠原村

1999.02. 「おがさわら丸」を湾外まで見送る漁船と三日月山…小笠原村

 

12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在)

港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。

なお、船舶は実際に利用したものです。

[] 東京都⑦ 青ヶ島 青ヶ島村

三宝 》の4 (2017年-3)

2017年11月10日の彼の記録より。

昨日の欠航もあり、宿主のOさんに空室状況を尋ねると「今日は空いているが、明日はヘリコプターで見えられるため空いていない」との事。

万が一今日も欠航すると土曜と日曜は運休日となり、宿の確保が非常に困難な島の状況もあり「どこでも寝られますから」と言うと、「その時には考えて見るわ」と言ってくれ.。

これを聞き安心して散歩していると、「本日あおがしま丸は条件付きで運航します」と村内放送が流れた。

朝食後、同宿のM さんから「工事現場に案内しようか」と言われ、喜んでお願いする。

工事現場に着くと、Mさんは遙か上方にいる作業員に大声で声を掛けて安全面も含め確認し、しばらく工事の確認をして再び作業員に声を掛けて現場を後にすると、今度は昨日断念した大千代港に向かう道路の『通行止め』まで案内してくれる。

ここからは、遙か下方に波に洗われる大千代港が見え、崖の崩壊で港に続く道路は分断されている。

Mさんは地形的な説明をしてくれた上で、「大千代港に続く道路の復旧は無いだろう」と話された。約一時間案内をして頂き宿に戻る。

10時過ぎ、Mさんとお昼の賄いをされている女性に「また戻ってくるかも知れませんが」と挨拶をして出発、あちこちで愛車を停めながら風景や花などを楽しみ11時過ぎ三宝港に到着。

乗船券を購入する際の乗船名簿を書こうとすると、係りの女姓から「昨日記入されたものが有りますから書かなくていいですよ」と言われ、自転車料金についても各セクションの関係者三人に聞いたが、いずれからも「八丈島で聞いて下さい」と言われる。

「あおがしま丸」は12時45分に接岸。

すぐに乗船となり1時半ごろ荷物と10名の客をのせて桟橋を離れ、4時半ごろ底土港に接岸。

自転車料金を聞くと、ここでも「いいよ」と言われ、今回も往復いずれも支払うことなく終わった。

2017.11.10 三宝港に近づく「あおがしま丸」…青ヶ島村

2017.11.10 三宝港に近づく「あおがしま丸」…青ヶ島村

2017.11.10 三宝港に接岸する「あおがしま丸」…青ヶ島村

2017.11.10 三宝港に接岸した「あおがしま丸」に向かう乗船客…青ヶ島村

2017.11.10 「あおがしま丸」から見た三宝港…青ヶ島村

2017.11.10 「あおがしま丸」から見た三宝港…青ヶ島村

大千代港

前日に一旦向かうも、時間が無いと判断し途中で引き返した大千代港。

しかし、運良く同宿だった島内の道路工事責任者であるMさんが彼を案内してくれました。

そして、その間 私は宿で休んでいました。

ちなみに、私は「Mさんは地形的な説明をされた上で『この港に続く道路の復旧は無いだろう』と言われた」と、宿に戻った彼から聞きました。

2017.11.10 大千代港…青ヶ島村

2017.11.10 大千代港…青ヶ島村

2017.11.10 大千代港…青ヶ島村

突然に欠航が決まった事により1日滞在が長くなった青ヶ島

彼が走った島では最も行くのが困難だったこともあり、今では「逆に1日伸びたことが非常に良い思い出になっている」と彼は話している。

彼は、「宿の雰囲気はもちろん、女将さんと賄いの方の対応の良さ。そして、同宿者とも非常に気が合った事に加え、島で出会った人たちの温かさ」が忘れられないと言い、「何時の日か行く機会があれば、迷わずこの宿に泊まる」とも話している。

12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在)

港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。

なお、船舶は実際に利用したものです。

[] 東京都⑥ 青ヶ島 青ヶ島村

三宝 》の3 (2017年-2)

2017年11月9日の彼の記録より。

宿主のOさんに「今日は船大丈夫ですかね」と聞くと、彼女はテレビの『三宝港とヘリポートを終日ライブで放送している』画面を見て、 「今日は大丈夫でしょう」と答えられ安心した。

ちなみに、船の運航状況については運航日の朝7時に村内放送で流され、この日は「予定どおり運航します」だった 。

朝食を済ませ8時50分に出発。

一旦は大千代港に向かうも船の時間から困難と思われ引返し、池之沢地区を回って三宝港に戻る。

乗船券を買い、港内を想い出と共にブラブラと散策した後、愛車は11時50分頃コンテナに積載された。

しかし、程なくして係員から「ごめんなさい」と言われ、訳を聞くと「船は来ないかもしれない」との事。

これを聞き、まず御宿為朝に宿泊について照会すると、お昼の賄いで働かれている若い女性から「可能ですよ」と聞いて安堵し、決定次第連絡を入れるとして仮予約。

改めて港を見ると、急に海が荒れ桟橋には波がかぶっている。

そして、間もなく「接岸できないため欠航が決まった」との連絡を受け、愛車をコンテナから出した。

このような事態もある事を想定してはいたが、まさか本当になるとは夢にも思わず、宿が確保できたのが幸運であった。

仕事の関係で港にいた宿主のOさんに仮予約の件を話すと、彼女から宿に連絡しておくとの事だった。

ちなみに、この日「あおがしま丸」は島から見える所まで来ていたとのことだった。

2017.11.09 波をかぶる三宝港の桟橋…青ヶ島村

2017.11.09 波をかぶる三宝港の桟橋…青ヶ島村

2017.11.09 三宝港…青ヶ島村

2017.11.09 三宝港…青ヶ島村

2017.11.09 三宝港。クレーンで吊り上げられて運ばれた漁船…青ヶ島村

2017.11.09 三宝港。クレーンで吊り上げられて運ばれた漁船…青ヶ島村

2017.11.09 乗船券発売所…青ヶ島村

2017.11.09 コンテナに積載されたが、しばらくして欠航が決まる。          
            この島は宿が確保されていない場合は渡る事が出来ないと言っても過言でな く、
    運良 く連泊した宿に空き部屋があったため泊まる事ができた…青ヶ島村 
       

 

12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在)

港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。

なお、船舶は実際に利用したものです。

[7] 東京都⑤ 青ヶ島 青ヶ島村

三宝 の2 (2017年-1)八丈島の「神湊底土客船待合所」を含む

2017年11月7日の彼の記録より。

午前8時に時に底土港(八丈島)に行くも 、岸壁工事の船が接岸しているため、「あおがしま丸」は底土園地の沖に停泊していた。

乗船券の発売は8時半からとあり、窓口には『青ヶ島に宿が確保されていない場合は発券しない旨』が示されている。

8時半に乗船券を購入した際、最初に聞かれたのも宿の確保の有無と宿の名前であった。

2017.11.07 神湊底土客船待合所内の「あおがしま丸」の乗船券売場。         

        左から2番目の上の貼紙の下部に『青ヶ島宿泊先が予約されていないと渡れま

      せん!!』と表示されている…八丈町三根                                                             

乗船券と共に自転車の航送料金を払おうとしたところ「貨物で聞いて下さい」と言われ、貨物では「青ヶ島で聞いてくれ」と言われたため、料金を払う事なくコンテナに積載され船倉へ。

船は30分遅れで底土港を出し、約1時間半で前方に青ヶ島が見えてきた。

船は黒潮を横切っているにも関わらず、海は荒れること無く形の変わらないままの青ヶ島に向かって進み、午後1時半ごろ三宝港に接岸。

前回建設中であった岸壁に降り立ち、運送関係の人に自転車料金の事を話すと「八丈島で貰っていないのなら貰えない」と言われ、往路は無料となってしまった。

港や事務所は大きくなり、断崖に打たれたコンクリートは更に堅固になっていたが、漁船の係留施設や施設まで船を運ぶクレーンは変わっておらず、改めて青ヶ島に来たことを実感する。

2017.11.07 「あおがしま丸」から見る三宝港…青ヶ島村

2017.11.07 「あおがしま丸」から見る三宝港と漁船を吊り上げて運ぶクレーン…青ヶ島村

2017.11.07 三宝港に接岸した「あおがしま丸」…青ヶ島村

2017.11.07 三宝港に停泊中の「あおがしま丸」…青ヶ島村

2017.11.07 三宝港に停泊中の「あおがしま丸」…青ヶ島村

 

12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在)

港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。

なお、船舶は実際に利用したものです。

[7] 東京都④ 青ヶ島 青ヶ島村

三宝 》の1 (1998※一部2017年を含)

1998年11月23日の彼の記録より。

八重根港を出て二時間半。

海上に浮かぶ断崖絶壁を背にした『青ヶ島』の三宝港に着いた。

そこは岸壁以外に平地は無く、漁船は港ではなく20m程上方に置かれており、切り立った崖に沿い遥か高所に見えるガードレール、要塞のように打たれたコンクリートに圧倒されるばかり。

この風景を目にした時、「自転車を持って行くな」と言われた意味を理解した。

滞在時間はクレーンによる荷物の揚げ降ろしに要する時間のみで、愛車も直接クレーンで吊り上げられて岸壁に降ろされた。

港を離れる事もできず、滞在時間は瞬く間に過ぎた。

そして、愛車は一番最後の積み荷としてクレーンで船倉に運ばれた。

1998.11.23 「還住丸」から見る三宝港…青ヶ島村

1998.11.23 三宝港に停泊中の「還住丸」…青ヶ島村

1998.11.23 三宝港に停泊中の「還住丸」…青ヶ島村

1998.11.23 三宝港に停泊中の「還住丸」…青ヶ島村

1998.11.23 「還住丸」からクレーンにて吊り上げられて上陸する私…青ヶ島村

1998.11.23 「還住丸」の乗組員が写してくれた彼と私…青ヶ島村

1998.11.23 三宝港にて…青ヶ島村

1998.11.23 私のバッグの上にあるのはクレーンでの吊り上げ用のロープ…青ヶ島村

1998.11.23 「還住丸」から見る出港直後の三宝港…青ヶ島村

2017.11.09 「還住丸」の乗船券発売所のあった三宝港待合所跡…青ヶ島村

2017.11.09 前回入港した際の三宝港…青ヶ島村

2017.11.10前回入港した際の三宝港…青ヶ島村

 

12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在)

港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。

なお、船舶は実際に利用したものです。

[7] 東京都③ 八丈島の2

八重根港

1998年11月23日の彼の記録より。

快晴の八重根港に接岸された「還住丸」の前で、彼は船長に「今日は必ず帰って来れますか」と聞いていた。

これに対し船長は「今日は戻って来られるだろう」答えた。

彼はこの一言でわずか30分の滞在時間を承知で、「青ヶ島の地を愛車と供に踏みたい」その思いだけに賭けた渡島だった。

ちなみに、数日前に青ヶ島村役場に運行状況を照会した際の回答は、「この一週間は来ていません」だった。

乗船券を購入する際に「自転車も一台」と言うと、船長も事務の女性も「走る場所も無いから持って行くな」と言われたが、 私がしつこく「自転車と供に島に立ちたい」と言うため、船長も折れて渋々載せてくれた事が想い出される。

この時点での私は島の状況を全く分かっておらず、 『30分あれば少しは走れるだろう』と思っていた……。

往路・復路ともに2名の客を乗せ、穏やかな海上を所要時間どおりに航行。

八重根に帰港した際、船長は事務員と私に「自転車の料金はいらないから」と言われ無料となった。

なお、2017年11月6日の写真は青ヶ島を再訪する前日に寄ったもので、この時は底土港からの出航に変わっていました。

なお、青ヶ島三宝港については次回で紹介いたします。

1998.11.23 「還住丸」にクレーンで積み込まれる愛車…八丈町大賀郷

1998.11.23 青ヶ島から八重根港に帰港した「還住丸」…八丈町大賀郷

1998.11.23 青ヶ島から八重根港に帰港した「還住丸」…八丈町大賀郷

1998.11.23 八重根港に停泊中の「還住丸」…八丈町大賀郷

1998.11.23 八重根港に停泊中の「還住丸」…八丈町大賀郷

2017.11.06 八重根港より見る八丈小島八丈町大賀郷

2017.11.06 八重根港より見る八丈富士…八丈町大賀郷

2017.11.06 八重根港より見る八丈富士…八丈町大賀郷