14.写真に残る神社、仏閣、教会など(※市町村名は2024年10月現在)
公開する神社、仏閣、教会については、有名・無名に限らず訪れた際に写したものです。
なお、彼 曰く「教会の内部については宗教上の観点から写真撮影が可能であった教会についても公開しない」との事です。
◎宮 古 島―6
《 マムヤの墓 》
この墓は「東平安名岬」にあり、彼はこの岬が大好きな事から、私達は3度訪れました。
マムヤについて、『宮古島市のホームページには「マムヤの時代については不明であるが、野城按司との悲恋を歌った「マムヤのあやぐ」や民話が残されている。それによると、ニフニリ(香草)のように香るマムヤは人もうらやむ絶世の美女として歌われている。マムヤは妻子ある野城按司と恋仲になるが、按司に裏切られ岩穴に隠れて機織りに精をだす。上布を織り上げたマムヤは東平安名崎の断崖から身を投じたと伝承され、悲劇のヒロインとして今に伝えられている。』」とあった」と、彼は私に教えてくれました。







※東平安名岬の呼び方について、以下の文章は2023年5月3日に当ブログで公開した7.写真に残る岬、崎、鼻 など(※市町村名は2023年3月現在)[16]沖縄県③宮古島、伊良部島-1(いずれも宮古島市) ◎宮古島 《 東平安名岬 》と同一です。
彼が初めて宮古島に行った1981年1月。
東平安名岬に近くなったころ、歩いていた地元の方に「ひがしへいあんな岬はどの様に行けばいいですか」と聞いたところ全く理解してもらえず、漢字を一文字ずつ話したところ「あがりへんなか」と言って道順を丁寧に説明して頂いていた。
また、その時「東は太陽が昇るから『あがり』、西は太陽が入るから『いり』と読み、西平安名は『いりへんな』と読むんだよ」と一緒に教えてくれた。
しかし、1998年2月の再訪時は覚えていないが、2016年2月に三度目の渡島した際の道路標識には「東平安名崎 Higashi Hennazaki」、「西平安名崎 Nishi Hennazaki」と表示されており、彼は納得がいかなかったらしく「あがりへんなといりへんなだろう」私に話していた。
ちなみに、彼は今もこの読み方しかしていない。