「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った

サイクリングで駆け巡った彼との45年間

5.特に印象に残っている全都道府県の思い出[8]山梨県、長野県、新潟県

彼と走った思い出は枚挙にいとまがないが、特に印象に残っているものを紹介したい。

 

 (15)山 梨 県

1990年10月14日。

日本最高所の車道峠「大弛峠」を目指し長野県の川上村を出発。

 

道路を水が横切って流れる洗い越し、石がゴロゴロしている未舗装の道路を殆ど押し上げで到着。

 

着いた峠は思ったより広く、高級な乗用車も含め車が予想外に多く停まっていたのに彼は驚いていた。

殆どが押し上げのため、私は彼を乗せる事なく楽であったが、予想に反し彼も「思ったほど辛くは無かった」と言っていた。

 

峠を境に、山梨県側は殆どが下りに加え道路状況も良かったため、「このコースは思ったほど辛く無かった」と彼は言っていた。

大弛峠(1990.10.14)

大弛峠(1990.10.14)

大弛峠に向かう林道の川上-牧丘線にて(1990.10.14)※長野県側

大弛峠に向かう林道の川上-牧丘線にて(1990.10.14)※長野県側

(16)長 野 県

1975年3月。

 

信州の山々に抱かれる様に水を湛える諏訪湖と諏訪地方を見ながら、道路を押し上げ中心で上って杖突峠に到着。

 

季節は春なれど3月とあってか、杖突峠の木々の中には未だ積雪が。

 

峠を後にして高遠町、駒ケ根市を経由して飯田市に入る。

 

市内で「この りんごの木は飯田東中学校の生徒が手入れをしています」とある「りんご並木」を目にするも、時期的にも落葉しており、「真っ赤な実を付けた並木を見たい」と思った彼。

この思いを彼は2010年10月10日に叶え、真っ赤な実を付けた「りんご並木」と私を一緒にカメラに収めた。

 

彼はこの並木が大好きで、これ以降に家族や友人を連れ3回訪れている。

杖突峠(1975.03)

杖突峠に向かう道から見る諏訪湖と諏訪地方(1975.03)

飯田市のりんご並木(左1975.03)

飯田市のりんご並木(2010.10.10)

担当学級が表示された りんごの木の前の説明板(2010.10.10)


(17)
新 潟 県

1992年10月18日に枝折峠を目指す。

 

目指すに当たって、国道352号線が二輪車は通行禁止となっている事から、彼は電話で管轄する小千谷土木事務所に「自転車の通行の可否」について問い合わせたところ、「自転車は通行できる」との返答をいただき、計画に入った。

このほか、当時この道路は「午前は大湯から銀山平、午後は逆方向の一方通行」で、大湯からは午前8時から正午までが通行可能時間。

 

通行時間に合わせて栃尾又温泉を出発。

 

峠に向かう道路の入口には、道路一杯に横断した規制を表示する看板が。

そこには、小出警察署と小千谷土木事務所の連名で「この先は砂利道 急カーブ多し、転落死亡事故多発、連絡方法なし、初心者はシルバーラインへ、二輪車通行禁止」と書かれてあった。

また、道路脇にも「車両通行止」の標識が設けられ、小出警察署と小千谷土木事務所の連名で「通行可能時間 午前8:00~12:00、大湯から銀山平方向、二輪車終日通行禁止」と書かれてあった。

このほか、「駒ヶ岳 枝折峠登山口 枝折峠 11 .0km}と言う標識もあった。

 

この様に細かく書かれた看板を見るのは初めてで驚いたが、彼は「走ってみると、車だったら うなずける」と言っていた。

 

道路は、彼にとっては急坂だが砂利道もそれほど無く、快晴の中 風景も良く、気持ちよく枝折峠に到着。

 

今回は枝折峠から銀山平に抜けて奥只見に入り、福島県の桧枝岐村を経由して会津に抜けるコースのため、初めて「熊対策」として大き目の普通の鈴を用意し、栃尾又温泉からハンドルに付けて走るも振動が殆ど無いため用をなさず、以後において鈴を付ける事はなかった。

国道352号線の規制表示(1992.10.18)※計画時に小千谷土木事務所に自転車通行可能の確認済み

枝折峠に向かう国道352号線にて(1992.10.18)

枝折峠(1992.10.18)

国道352号線から見る銀山平と奥只見湖(1992.10.18)