5.特に印象に残っている全都道府県の思い出[15]鳥取県、島根県
彼と走った思い出は枚挙にいとまがないが、特に印象に残っているものを紹介したい。
(30)鳥取県
1974年8月8日。
地獄の責め苦を味わった若杉峠を越え、若桜、郡家、河原の各町を通り用瀬町に入る。
目に付いたストアーで夜と翌朝の食べ物を買い込んでいると、ストアーのご主人で自転車店も経営されているMさんから「泊って行け」と声が掛かり、一晩お世話になる。
ちなみに、Mさんの息子さんは「進学した地から自転車で帰郷すると言っていたが、途中でリタイアした」との事で、「宗谷岬から走って来た」と彼に聞いて興味を持たれたとのこと。
翌朝、彼は「昨日は久々に風呂に入り、一浴びした後のビールの味も格別だった」と私に話したほか、後年「娘さんがオリンピックに出場が決まった時」には、輪行バッグ入っていた私にも教えてくれた。
なお、彼は1988年3月31日にもサイクリングで用瀬町に立ち寄っている。
用瀬町(※1988.03.31撮影)
2007年10月5日。
夕刻にJR境港駅に到着。
彼は私を組み立て、『目玉おやじ』の街灯が照らす中を宿に向かう。
境港市は『ゲゲゲの鬼太郎』の町で、今回は隠岐に渡るための出発地。
翌日、彼は島根県の七類港から出港するフェリーの時間に合わせ、早朝に市内を見て回る。
水木しげるロードには妖怪たちのブロンズ像が立ち並び、街灯も『目玉おやじ』や妖怪たち、JR境港駅はもちろん交番や郵便局、自動販売機にも『鬼太郎』とその仲間たちがいるほか、郵便局の消印も『鬼太郎』。
利用した交通機関について、米子市と境港市を結ぶJR境線は全ての駅に妖怪が配され、列車も往路は「鬼太郎列車」、復路は「猫娘列車」で、彼は「猫娘列車」に描かれた『猫娘』の可愛さに目を見張り、「普段の顔の彼女」のファンとなっていた。
なお、島根県になるが隠岐では、島後の西郷港から中ノ島の菱浦港と西ノ島の別府港から知夫里島の来居港への移動、そして西ノ島の別府港から境港市への帰路は、船体に『鬼太郎と一反木綿』が描かれた鬼太郎フェリーと呼ばれる「フェリーしらしま」だった。
(31)島根県
1984年8月19日。
私を組み立て出発するも、瀬戸内海を目指し赤名峠に向かうと思いきや、彼は歯科医院を探し始めた。
すぐに見つかるも、始業まで未だ時間があるにも関わらず、彼は呼び鈴を鳴らすと運良く院長が応対され、事情を話して診察をお願いした所すぐに診て下さった。
彼は、福井から乗った列車内で歯痛に襲われて殆ど寝ておらず、見て頂けた事が奇蹟と思っていた。
また、保険証を持っていなかったが帰宅後に写しを送る事で適用して頂き、これ以後は常に保険証の写しを携帯していた。
彼は余りの痛さを我慢していたのだろう、応急処置されて出て来た時「本当に助かった」と私に言い、S歯科医院の院長に感謝していた。