5.特に印象に残っている全都道府県の思い出[14]大阪府、兵庫県
彼と走った思い出は枚挙にいとまがないが、特に印象に残っているものを紹介したい。
(28)大 阪 府
大阪は彼の旅行における交通の要。
この地を経由して鉄道、飛行機(兵庫県と大阪府に位置する大阪空港[伊丹空港]も含)、フェリーで西日本の各地へ移動。
居住地からJRで3時間以内で着く大阪があるため、彼は「旅行する身としては非常に助かっている」と話していた。
なお、大阪空港は兵庫県の伊丹市に跨って在るが、彼はJR新大阪駅で降りて向かっていた。
(29)兵庫県
1974年8月8日の若杉峠。
ズブ濡れの衣類を干して野宿した養父町浅野のバス停を出発し、若杉峠に向かう。
当時の彼の記録には、「この日は地獄の責め苦の道を通った。その道とは若杉峠のことだ。なにしろ未舗装のうえ、とんでもない急坂ときている。快晴だったので少しはましだったが、昨日のように雨にたたられたらと思うとゾッとした。若杉峠があまりにもハードだったので、次の戸倉峠は簡単だった。若杉峠の悪戦苦闘は、705mしかないという単純な高さを思い描いたことにあったようだ」とある。
※ここにある「簡単」は「楽」に、「思い描いた」は「甘く見ていた」に置き換えてください。
2014年2月8日。
大阪空港[伊丹空港]から宮崎に向かう。
輪行バッグを新調した事で約10年ぶりに飛行機を利用したところ、空港で輪行バッグに対する検査が厳しくなっているのには驚くばかり。
検査に当たって彼は、衆目の前で私が入ったバッグを倒して開き、買い物袋に分別して入れてあった水筒(3ℓのポリタンク)やペダル、工具など細かい物まで全て確認され説明していた。
彼は「時勢を考えると仕方がないかなとも思われたが、若い検査員だからか『缶切り』を知らないのには驚き、使い方を説明してあげた」と私に話し、「缶切りとフォークはチェックインした手荷物カウンターに戻って預ける事になった」とも話した事から、検査体制の変化に余程 驚いたのだろう。
この時の「缶切りとフォーク」とは、当ブログの『1.私について』にある、私と全ての旅行を共にした物。
しかし、これ以降の旅行においてこのような事は無かった。
なお、大阪空港は大阪府と兵庫県に跨っているが、彼は「伊丹空港」と呼んでいる事から兵庫県としてあります。