彼と走った思い出は枚挙にいとまがないが、特に印象に残っているものを紹介したい。
(47)福井県
彼と私が住む県。
旅行中に出身地を聞かれた際「福井県です」と彼が答えると、殆どの方は「九州の」や「東北の」と福岡県または福島県と間違われ、県名も位置も知られていない事を痛感。
また、東尋坊と永平寺だけは知られてはいたが、福井県にあると言う事は殆ど知られていなかった。
彼は出身地を聞かれる度に、交通の便の良さと知り得る知識で名所・旧跡、歴史などを紹介していた。
1981年8月。
山間を縫うように走るこの道沿いには、1957年に完成した小さいながらもアーチ式の「雲川ダム」があり、温見に入ると僅かながら視界が開け束の間の解放感に浸れる、この2か所が彼の大好きな場所。
なお、国道157号線は「酷道」としても有名らしいが、全線を走破している彼は一般的な道路として走っており、酷道という認識は全くなく、彼が走った範囲での酷道は国道265号線のみと言っている。
1981年5月。
この旅行は彼のサイクリングに於いて、日帰りながら最も疲れた旅行だったらしい。
彼は自宅を出て、今庄町から高倉峠を越えて岐阜県の徳山村に入り、冠山峠を越えて福井県に戻り池田町から武生市に抜け自宅に帰った。
彼は私に「武生までは問題なかったが鯖江に入る頃から急に疲れ、やっと帰る事が出来ホッとした」と家が見えた時に言っており、今もこのコースを「俺のサイクリングで最も疲れたコース」と言っている。
この日は快晴で暑く、冠山峠はアマチュア無線の好適地と言う事を送受信をされている方から聞き、その時いただいた「氷の塊」は物凄く美味しかったと私に話していた。
なお、両コースとも積雪情報はもとより、近年は熊の出没に注意が必要と思っている。
1983年5月。
私達は、日帰りで敦賀半島一周を目指すも、地図上に示された山道は途中で無くなり行止りとなって戻らざるを得なかった。
この時に立ち寄った「立石岬灯台」は明治14年に洋式灯台としては初めて日本人の設計・施工で立てられており、眼下には敦賀湾と日本海が広り、前方には雪を頂いた越前の山々が連なっていた。
また、この日は灯台の点検をしており、点検されている方から「中を見られますか」と声を掛けられて入り、出て来たとき彼は「見せて頂けてラッキーだった」と喜んでいた。
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各都道府県の思い出については、改めて紹介させて頂きたいと思っているが……
私達は見知らぬ方々にいろいろな面で助けられた事は忘れられず、今も感謝しかない。
また、私自身ほとんど故障が無かった事に加え、彼の手に負えない状態に陥った際に私が持ち込まれた、福井市郊外の"町の自転車さん「加藤サイクル」"のご主人の技術とアイデアもあって走り続けられたと思っているが、ご主人も今は亡くなられ店も閉店して寂しい限り。
彼は『サイクリングは見知らぬ土地を訪れ見聞を深める手段であり、ただ走るのみにあらず』との考えで、古いスタイルを貫いたまま「私のみを半世紀乗り続ける事」を目標にしてきたが、想定外の事態により夢は破れた。