7.写真に残る岬、崎、鼻 など(※市町村名は2023年3月現在)
[14]大分県(姫島)、佐賀県、長崎県(対馬、福江島[※文章のみで写真はなし])
◎大分県
《 柱ヶ岳鼻 》
◎佐賀県
《 波戸岬 》
◎長崎県
《 神 崎 》
《 豆酘崎 》
豆酘崎で泊まった民宿の夕食に出された「イカの一夜干し」。
彼はイカについては焼いた物しか食べなかったが、この「一夜干し」は余程おいしかったらしく、「食べた時の美味さは忘れられない」と今も話している。
ちなみに、「イカの種類を忘れてしまった事が残念」とも話している。
《 大瀬崎 》(※写真はなし)
1975年8月6日。
2回目の日本縦断の目的地、福江島の大瀬崎に着く。
彼はこの旅行で写したスライドを全て失くしてしまい悔やんでいるが、当時の記録には次のようにある。
「8月6日、とうとう最終日である。根室を出発以来、寮での休養日を含めて18日間。のべ3000キロ以上の走行にピリオドを打つ。
福江島は意外に道はきつく、峠が二つもあったのには驚き。
しかも、玉之浦の手前から大瀬崎へ続く道ときたら舗装とは名ばかりで、あちこち穴があいているし勾配も相当なものだ。
しかし、そこを越しながらフト目を移すと、眼下には夢にまで見た大瀬崎灯台が立っているのが見え、俺は愛車を抱えるようにして下る。
この道はとんでもない勾配に加えてケタはずれの悪路。しかも、愛車にはフロントにしかバッグと寝袋の荷物をつけていないので岩や石に当たるたびに後輪がはずみ、体に当たることも。
それでも、10時ごろ何とか灯台のふもとに愛車ともども下ることができた。
大瀬崎断崖に立つと灯台の前には、青々と広大な東シナ海が広がっている。
そして、旅は終わった。
旅行者たちが俺の自転車を見てビックリしていたが、自分でもよく あんな急な崖道を下りてきたものだと思う。
人もあまり多くなく、納沙布岬とは別な趣のある最果ての地だ。
これからは、長崎に戻り列車で福井へ帰るのみである」。