5.特に印象に残っている全都道府県の思い出[23]宮崎県
彼と走った思い出は枚挙にいとまがないが、特に印象に残っているものを紹介したい。
(44)宮 崎 県
1974年8月15日と16日の国道265号線。
そして国見峠。
彼は熊本県の一の宮町から国道265号線に入り、宮崎県の西米良村 村所まで走るも、この国道の余りにも酷い仕打ちに耐え切れず、西米良村から小林市に抜ける予定を変更し熊本県の人吉市に向かう。
彼がこのような理由でコースを変更したのは これ一回のみで、当時の彼の記録には次のようにある。
「8月15日。
一の宮町を出発し、箱石峠を越えて高森に抜け、一路 椎葉村へと向かった。
だが、箱石峠と急坂に加え未舗装道路に苦しめられ、あまり進まなかった。
特に馬見原を出てからは、絶壁と断崖に挟まれた狭隘な道幅に加え、絶壁側からは岩も露出。
結局 国見峠までも進めず、道路脇の断崖の上で、この旅行で初めてのテントを張った。午後8時15分に車の音を聞いて以来通行なし」。
「8月16日。
昨夜寝た場所は、国見峠まで約2㎞の地点であった。
国見峠で写真を撮っていると、椎葉村方面から車で来た方々が俺を見てビックリし、自転車で上って来た事と道路脇でキャンプしたことを聞き、更に驚いていた。
この車が今日 初めて見た車だった。
国道265号線は上りも下りも大変だったが、たどり着いた椎葉村は予想外に明るい村だった。
椎葉村からも国道265線は砂利道が続き、飯干峠を越えて西米良村の村所に着く。
国道265号線の余りにも酷い仕打ちに耐えきれず、小林市に向かう予定を変更し人吉市に向かった。
昨日に続いて横谷の道路脇にテントを張った」。
ちなみに、彼は「国見峠は二度と走りたくない峠」と今も言っているが、私は馬見原 以降における国道265号線の走った部分を含めて同じである。
また、翌8月17日の記録には次のようにある。
「8月17日。
人吉市街へ入る手前で左に折れて えびの市に向かい、再び宮崎県に入った。
県境からの眺めは、真ん中を川内川が蛇行し、左前方には霧島の山々が連なり、眼下には えびの盆地が雄大に広がっていた」。
何が功を奏するか分からず、「変更していなければ国道221号線の堀切峠を走る事はなく、左手に霧島の山々を望み、眼下には川内川がえびの盆地を蛇行する風景を目にすることは無かった」と、彼は今も話している。
そして、この風景が「最も良かった場所は」と聞かれた際、彼が福島県の白布峠と共に挙げる2ヵ所の内の一つである。
※馬見原は蘇陽町馬見原のこと。