彼と走った思い出は枚挙にいとまがないが、特に印象に残っているものを紹介したい。
(43)大 分 県
1987年10月26日。
雨の降る竹田市に着く。
竹田市に来た目的は、滝廉太郎が『荒城の月』を作曲した際にモデルとしたと言われている「岡城阯」を見、JR豊後竹田駅で到着メロディの『荒城の月』を聴き、郷土玩具の『姫だるま』を入手すること。
彼はJR豊後竹田駅で『荒城の月』を聴き、偶然「駅の改築記念と岡城築城800年祭の記念券」が販売されている事を知り購入して、武家屋敷を見ながら岡城阯に向かう。
岡城阯に着き、そびえ立つ美しく迫力のある石垣を見ながら天守台に向かって歩いていると、 あるはずがない天守閣が見えて彼は驚くばかり。
この天守閣は模擬天守閣で、「岡城築城800年祭」のイベントとして期間限定で本丸跡に作られた事を知った。
この日は、平日の夕刻に加え雨模様で閑散としていたが、模擬天守閣は近くで見ても「本当に良く出来ている」と改めて驚くばかりで、このようなタイミングで訪れた事に彼は「運が良かったかも」と話していた。
後日、この模擬天守閣の骨組みは木、壁面や瓦は発泡スチロール等で作られて本丸跡に作られたが、岡城阯が国の史跡のため10月20日から20日間だけ一般公開されて取り壊された事を知り、彼は「本当に運が良かった」と改めて私に話した。
2002年2月24日。
日出町を訪れた際、『荒城の月』について地元では、「滝廉太郎は日出町出身であると称していたので、日出城を思いながら『荒城の月』を作曲した可能性もある」と言われている事を知り、さもありなんと彼は納得していた。