「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った

サイクリングで駆け巡った彼との45年間

5.特に印象に残っている全都道府県の思い出[1]北海道、青森県

彼と走った思い出は枚挙にいとまがないが、特に印象に残っているものを紹介したい。

  

(1)北 海 道 

1985年6月のカムイト沼と1997年6月のチミケップ湖。

 

カムイト沼。

野宿したJR浅茅野駅の前にあった観光案内の看板で知り、距離も2㎞程度と遠くなかったため期待もせずに行くも、青い空の下 原生林に囲まれて真っ青な水を湛える沼を目にして感動。

表示板には「神々の住む沼」とあった。

 

チミケップ湖。

婦人雑誌にあった三浦綾子氏だったと思っているが、氏が書かれた文章を たまたま読んだ際どうしても行くべきと思い、北見から開成峠を越えて向かい、湖に沿って陸別に向かう。

森閑とした原生林の中に水を湛える湖は想像以上に素晴らしく、彼は「来て良かったとつくづく思った」と話していた。

 カムイト沼(1985.06)

チミケップ湖(1997.06)

2001年6月30日。松前町を出発して上ノ国町に入る

入って直ぐ、国道228号線の脇に『熊出没注意!これより先約6㎞区間(石崎~小砂子間)……』の看板が有るも、彼はいつもの注意を促す注意書きと思い走っていた。

 

しかし、暫く走っている内に脇道の大小を問わず入口全て(小道も含)に、つい最近 置かれたような注意書きの看板が立てて有るのに気付く。

これまで見た事のない状況に彼は疑念を感じたみたいで、「畑作業していた老婦に尋ねると『きのう子熊が海の方に行ったためで、子熊の後ろには必ず親熊がいるんだよね』と言い、加えて『小さい頃は、熊さんは山の中に居るものと思っていたが、近ごろは違うんだよね』と話してくれた上、缶コーヒーまでご馳走になった」と私に話した。

 

ちなみに、彼は1987年5月に走った「知床横断道路」では、出没についての看板等は無く熊の事は思いもしなかったが、羅臼町から海岸線を走って標津町に入った時に「熊に注意」の看板を見て驚くも、これも注意を促す看板と見て気にしていなかった。

 

彼は、今でも「国道228号線の6㎞は本当に怖かった」と話している。

国道228号線を上ノ国町に入る[松前町との町境](2001.06.30)

知床峠[知床林道](1987.05)

国道335号線を標津町に入る(1987.05)

 

(2)青 森 県

1979年8月7日の弘前城

天守閣を見ていると「1枚描かせてもらっていいですか」と年配の方から声が掛かり、「いいですよ」と生まれて初めてモデル?となる。

 

描き終えると「良かったら」と場所と日付が書かれた絵が差し出されたので、「お名前をお願いできますか」と言うと、「組ねぷた師 小山内」と書かれた。

 

この絵は額に入れられ、今も大切に彼の部屋に飾られている。

小山内さんが描いて下さった彼(1987.08.07)

1985年4月。

下北半島の尻屋崎からむつ市を経由して雨の中を九艘泊まで走り、折り返して脇野沢から蟹田に渡り旅館を探す。

 

旅館は直ぐに見つかるも、彼はずぶ濡れ状態で予約もしてない事から、体よく断られるのを頭に描きながら、雨合羽の上着は脱ぐもズボンは穿いたまま「なかむら旅館」の玄関をくぐり、「部屋空いてませんか」と聞いたところ「空いてますよ」と即答され驚いていた。

このほか汚れている手足を拭くために、応対された女将さんに「雑巾を貸して欲しい」と言ったところ、ぬるま湯の入った洗面器と綺麗なタオルが数枚出てきてびっくりした話していた。

 

この時の事を忘れられない彼は、2017年7月4日に再度サイクリングで訪れ、建て替えらていた建物に宿泊。この時は予約を入れて宿泊している。。

再訪した中村旅館(2017.07.04)