「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った

サイクリングで駆け巡った彼との45年間

12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在)

港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。

なお、船舶は実際に利用したものです。

なお、この文章については、はてなブログの別ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋して編集したものとなっているほか、その後に訪れた際の写真も加えています。。

[25] ニュージーランド④ 南島の2 ブラッフ

ブラッフ港

197611日。

先ず、飛行機の予約をするためNACの支店に行くが、この日は閉店。

次いでG・T・B(Government Tourist Bureau)に行く。

ここも閉まっていたが、ドアにいろいろと貼ってある紙を見ると、スチュワート島へのフェリーは1日1便で、午前8時ジャストに出港というのが目に入った。

   明日までフェリーは無いため先を急ぐ必要もなくなり、市内より1.5kmという近さにあるインバーカーギル空港(Invercargill Airport)に寄り、時刻表(Timetable)を手に入れてブラッフ(Bluff)に向かう。

 

インバーカーギルから国道1号線となり、ブラッフ湾(Bluff Harbour)が左に見えてくると同時に、湾を跨ぐようにしてブラッフの街並みが見える。

オーシャン・ビーチ(Ocean Beach)を過ぎ、「A FRIENDRY WELCOME TO BLUFF」の歓迎標識を右に見て、ニュージーランド最南端の町ブラッフに入る。

風は物凄く強いが、まだ早いのでフェリー乗り場を探したり買物をしたりした後、道路の続くままに風に逆らって進むと……。

「南緯46度36分54秒、東経168度21分26秒」の地点にて道路は無くなっていた。

来た時とは逆に、風に追われる様にブラッフに戻り、ちょっとフェリー乗り場に寄った後、見つけた廃屋で今 野宿をしている。

1976.01.01 ブラッフ湾を跨いで見るブラッフ

1976.01.01 ブラッフ湾を跨いで見るブラッフ

1976.01.01 ブラッフ湾を跨いで見るブラッフ

1976.01.01 ブラッフ湾を跨いで見るブラッフ

1976.01.01 港から見るブラッフの町

1976年1月2日

出港1時間前のため、俺が一番先だと思いきや、チケット売り場の前にはもう12~3人が並んでいる。 俺も後ろについて並んで待っていると、おじいさんが来て俺に話し掛けてくる。

言葉が分からないにもかかわらず、何とか話は通じるのだから面白い。

彼が言う所によるとバッジを見せて、「イングランド(England)のツーリングクラブのメンバーだ」と自己紹介した後、俺の自転車を指さして「あなたの自転車は素晴らしい」とべた褒めだ。

  この旅行の事や日本のことを聞かれるままに話したが、やはり「日本人は珍しい」と言われたほか、「レインガ岬から走って来て今日のオーバン(Oban)で終わりだ」と言ったらビックリしていた。

そして、何故かは分からないが「ブラッフとオーバン間の往復のチケット」をくれ、名前と日本で住んでいる都市名を教えて欲しいと言われるので「O**** H*****,FUKUI」と教えて別れる。感じの良いおじいさんだった。

別れて間もなく、船に乗り込む。

一番前の席に座っていると、ガラス越しに目の前をデッカイ籠に入れられた荷物が次々とクレーンで船底に収められる。

半分くらい積み終わったところで、俺の自転車も「アッ」と言う間に船底に行ってしまった。クレーンで吊り上げられるという経験が日本では無いうえ、初めて見る光景だけに驚くばかり。

「貨客船ワイルア」は午前8時15分に港を離れ、強い風の吹き荒れるフォーボー海峡(Foveaux Strait)を横切ってオーバンに着き、10時10分に最終目的地であるオーバンの桟橋に足を降ろす。

1976年1月3

風景を見るべく、後ろのデッキに座る。

が、フォーボー海峡の風の物凄さと冷たさには、ヤッケを着て手袋をはめていても凍えるかと思った程だが、何とかブラッフまで耐える。デッキに居る人の殆どは、毛皮や厚いコートを着ている。

海峡も終わり、カモメを従えた「貨客船ワイルア」は午後3時55分にブラッフに到着し、再びブラッフの土を踏む。

午後4時15分、クレーンで自転車が吊り上げられて降りてきた。

そして、本当に最後の走行になる30km余りの道をインバーカーギルに向かう

1976.01.03 「貨客船ワイルア」から見るブラッフとブラッフ港(右端)

1976.01.03 「貨客船ワイルア」から見るブラッフとブラッフ港(右端)