「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った

サイクリングで駆け巡った彼との45年間

12.写真に残る港湾、船舶など(※市町村名は2024年1月現在)

港湾については利用した所が殆どですが、たまたま通り道にあった港湾も含めてあります。

なお、船舶は実際に利用したものです。

[9] 石川県 輪島市 ※写真はありませんが、私達の住む福井県も付記しました

彼が舳倉島に渡ったのは1987年4月1日。

この日は日本国有鉄道(JNR)が分割民営化されJRとなった日。

この時の旅行は舳倉島をメインとした能登半島周遊で、往路は田鶴浜までJNR、復路は輪島からJR西日本の鉄道を利用して帰った。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

……あれから37年後の1月1日の午後4時10分。能登半島地震の発生により、輪島市は壊滅的な被害を受け、公開した風景は見られないと思います。

そして、私達が住む石川県に隣接する町も被害をこうむりました。

地震がおさまって家に入って来た彼は、岩手県で最期を迎えたままの姿で保存されている私に、「家が大きく左右に揺れ、時間も長かったため、倒壊するのではないかと思ったが倒壊はしなかった。本当に怖かった」と話してくれた。

なお、私達が住む町では、今月(2月)7日の早朝にも震度2の有感地震がありましたが、石川県においては現在も連日のように地震が発生しており、福井県でも発生する度に緊急速報がが流されています。

輪島港

1987.04.01 貨客船「へぐら」から見る輪島市輪島市

1987.04.01 貨客船「へぐら」の後ろのシートにくるまれて積載された私…輪島市

1987.04.01 貨客船「へぐら」から見る輪島市能登半島輪島市

舳倉島漁港

1987.04.01 舳倉島に到着時の貨客船「へぐら」…輪島市海士町

1978.04.01 舳倉島漁港…輪島市海士町

1987.04.01 舳倉島漁港…輪島市海士町

197.04.01 貨客船「へぐら」から見る舳倉島…経島市海士町

※私達が住む隣の福井県

私達は県内の港では三国、越前、河野、敦賀、小浜ほかを見ていますが、利用したのは敦賀のみです

敦賀港は1979年と1980年に新日本海フェリーの「ニューすずらん丸」で小樽に向け出港しています。

敦賀港は彼の自宅から50㎞余りの距離にあり、出港時間に間に合う事もあり、彼は定刻(午後5時)まで勤務して家に戻り、自宅から私を漕いで敦賀に向かっていました。

なお、「ニューすずらん丸」については、当ブログの『11写真に残る港湾、堰堤および船舶(※市町村名は2024年1月現在)[1] 北海道② 後志支庁胆振支庁後志支庁 小樽市《 小樽港 》』で紹介しています。