8.写真に残る峠、最高所、最高地点 など
※都道府県名および市町村名は国土地理院の地図による2023年4月現在
※標高は現地に表示のある場合以外は国土地理院の地図によるもので、おおよその高さを※を付して記載
※峠についてはバス停の表示があったものも含む
[11]新潟県
《 枝折峠 》
1992年10月18日に枝折峠を目指す。
目指すに当たって、国道352号線が二輪車は通行禁止となっている事から、彼は電話で管轄する小千谷土木事務所に「自転車の通行の可否」について問い合わせたところ、「自転車は通行できる」との返答をいただき計画に入る。
当時この道路は「午前は大湯から銀山平、午後は逆方向の一方通行」で、大湯からは午前8時から正午までが通行可能時間のため、通行時間に合わせて栃尾又温泉を出発。
峠に向かう道路の入口には道路一杯に横断した規制を表示する看板があり、小出警察署と小千谷土木事務所の連名で「この先は砂利道 急カーブ多し、転落死亡事故多発、連絡方法なし、初心者はシルバーラインへ、二輪車通行禁止」と書かれており、道路脇にも「車両通行止」の標識が設けられ、小出警察署と小千谷土木事務所の連名で「通行可能時間 午前8:00~12:00、大湯から銀山平方向、二輪車終日通行禁止」と書かれてあったほか、「駒ヶ岳 枝折峠登山口 枝折峠 11 .0km}と言う標識もあった。
この様に細かく書かれた看板を見るのは初めてで驚いたが、彼は「走ってみると、車だったら うなずける」と言っていた。
道路は、彼にとっては急坂だが砂利道もそれほど無く、快晴の中 風景も良く、気持ちよく枝折峠に到着。
今回は枝折峠から銀山平に抜けて奥只見に入り、福島県の桧枝岐村を経由して会津に抜けるコースのため、初めて「熊対策」として大き目の普通の鈴を用意し、栃尾又温泉からハンドルに付けて走るも振動が殆ど無いため用をなさず、以後において鈴を付ける事はなかった。
《 恋ノ岐越え》