8.写真に残る峠、最高所、最高地点 など
※都道府県名および市町村名は国土地理院の地図による2023年4月現在
※標高は現地に表示のある場合以外は国土地理院の地図によるもので、おおよその高さを※を付して記載
※峠についてはバス停の表示があったものも含む
[27]宮崎県
《 国見峠 》
彼は国道265号線が通るこの峠を「二度と走りたくない」と今も話しており、当時の記録には次のようにある。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
1974年8月15日。
一の宮町を出発し、箱石峠を越えて高森に抜け、一路 椎葉村へと向かった。
だが、箱石峠と急坂に加え未舗装道路に苦しめられ、あまり進まなかった。
特に馬見原を出てからは、絶壁と断崖に挟まれた狭隘な道幅に加え、絶壁側からは岩も露出。
結局 国見峠までも進めず、道路脇の断崖の上で、この旅行で初めてのテントを張った。午後8時15分に車の音を聞いて以来通行なし。
※馬見原は現在の蘇陽町馬見原のこと。
※「初めてのテントを張った」について、この旅行に於いて彼の宿泊の基本は「野宿」
であったため、これまではテントを張る必要が無かった。
1974年8月16日。
昨夜寝た場所は、国見峠まで約2㎞の地点であった。
国見峠で写真を撮っていると、椎葉村方面から車で来た方々が俺を見てビックリし、自転車で上って来た事と道路脇でキャンプしたことを聞き、更に驚いていた。
この車が今日 初めて見た車だった。
国道265号線は上りも下りも大変だったが、たどり着いた椎葉村は予想外に明るい村だった。
椎葉村からも国道265線は砂利道が続き、飯干峠を越えて西米良村の村所に着く。
国道265号線の余りにも酷い仕打ちに耐えきれず、小林市に向かう予定を変更し人吉市に向かった。
※彼は「国見峠は二度と走りたくない峠」言っているが、私は馬見原 以降における国道
265号線の走った部分を含めて同じ思い。
※「車で来た方々が俺を見てビックリ」について。
「車で来た方々」は、一台の車に乗って来られた4人の中年男性の事
「俺を見てビックリ」は、聞かれるままに答えた①この場所にいる事と前日のキャン
プのほか、①宗谷岬から走って来た事、②年齢 (彼はこの時19歳だった)の2点も大
きな要因。
※彼は宮崎県の国見峠と兵庫県の若杉峠については、「二度と走りたくない峠」と今も
話している。
※彼は近年 言われている「酷道」を幾つか走っているが、彼が走った範囲では「国道
265号線」のみが酷道で、他は普通の道路と思っている
《 堀切峠 》
1974年8月17日の記録には次のように書かれている。
「人吉市街へ入る手前で左に折れて えびの市に向かい、再び宮崎県に入った。
県境からの眺めは、真ん中を川内川が蛇行し、左前方には霧島の山々が連なり、眼下には えびの盆地が雄大に広がっていた」。
※何が功を奏するか分からず、「変更していなければ国道221号線の堀切峠を走る事
はなく、左手に霧島の山々を望み、眼下には川内川がえびの盆地を蛇行する風景を目
にすることは無かった」と、彼は今も話している。
※この風景は、彼が「最も良かった場所は」と聞かれた際、今も福島県の白布峠と共に
挙げる2ヵ所の内の一つ。
《 津花峠 》
《 飫肥杉峠(大戸野越) 》