「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った

サイクリングで駆け巡った彼との45年間

11.写真に残る空港および航空機(※市町村名は2023年12月現在)

空港については乗り継ぎした空港も含めており、利用した航空機については偶然目にした機も含まれています。

なお、空港については彼の旅行の発着地になる事から、利用した回数から見ると殆ど写真はありません。

[6] 鹿児島県② 徳之島、、沖永良部島与論島

◎徳之島

徳之島空港

1994.02.22 徳之島空港…天城町

沖永良部島

沖永良部空港

彼は、大阪空港から鹿児島空港を経由して沖永良部空港に着いた。

そして、空港の一角で私を組み立て始めたところリアディレーラーの動作がおかしいため確認すると、フレームの一箇所に溶接の剥離があった。

このためカウンターに行って説明すると、地上職員から「最初に乗られた大阪空港で『預かった荷物に異常が発生しても補償出来ない旨の誓約書』にサインされておられませんか」と聞かれ、「そのような話は聞いていないしサインもしていない」と返答すると、「確認させていただきます」と言って確認したところ大阪空港で誓約書をとっていない事が判明した。

これを受け、すぐに対応した職員は私の状態を確認し、彼に「当社が使っている一般の鉄工所ですが、そこで修理してもよろしいでしょうか」と聞き、彼は了承して私のフレームだけを持って職員と一緒に車で鉄工所に行き修理していただいた。

ちなみに、私がされた溶接は素晴らしいもので、これまで以上の強度になったと彼も思っており、私が最期を迎えた2019年6月11日まで全く問題はありませんでした。

この様な「誓約書」が何時からあるのか知らないが、彼はこの時以外はは全て確認されてサインしており、「飛行機に積載する際はリスクも覚悟する必要がある」と今も話しているほか、「輪行袋に対する扱いも何時ごろかは覚えていないが、ある年を境に非常に丁寧になっていた」とも話している。

1994.02.19 沖永良部空港と修理を終えた私…和泊町

与論島

与論空港

2017.02.02 与論空港に到着したJALの鹿児島発便…与論町

2017.02.02 与論空港与論町

2017.02.02 与論空港の手荷物引渡所…与論町

2017.02.02 与論空港与論町

2017.02.02 与論空港与論町