7.写真に残る岬、崎、鼻 など
[17]ニュージーランド
文章については、はてなブログの別ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋しています。
◎北 島
《 レインガ岬 》
岬に立った1975年12月1日の彼の日記には次のように書かれている。
午前6時30分起床。
午前7時、Nさんの車でレインガ岬(Cape Reinga)に向かう。これは、シケのため仕事が出来ない事から、予定を変更して送って下さったもの。
Nさん・Iさんの両氏と共に、ここNew Zealandの最北端に位置し今回の出発地でもあるレインガ岬に着く。
車から降りると風雨が余りにも強かったが、先ず辺りを見学した後、運よくあった公衆便所の中で愛車を組み立てる。
「風が大変強いため、今日も泊まって行け」とNさんから言われ、お言葉に甘える事として殆どの荷物を持って帰っていただく。
そしてサイクリングを開始。 先ずは、最先端にある灯台まで行く。
そこにある方向指示標の一つに「TOKYO 〇〇〇〇km」と あるのを見た時、改めて俺は外国に来たんだと思う。
小雨まじりの強風の中、崖の上に立つ白い灯台。
下に見える南太平洋(South Pacific Ocean)とタスマン海(Tasman Sea)がぶつかり合っている男性的な光景、振り返るとテ・ウェラヒ海岸(Te Werahi Beach)の白い砂浜が見える。
※NさんとIさんは日本のT漁業の現地駐在員。
※泊めていただくきっかけは、カイタイア空港のロビーに出て来た、搭乗したカイタ
イア便のパイロットとスチュワーデスから話し掛けられた事で、全く訳の分からない
会話を行った際に話の中で宿泊先について聞かれるも、野宿するつもりだったため
『決まっていない』と答えた事が要因だと思われる。
野宿するつもりだとは想像も出来ずに心配してくれたクルーとNACカイタイア支店
の職員の世話で、テ・カオ(Te Kao)に居られる日本のT漁業の現地駐在員の家に泊め
て頂く事になってしまい驚くばかり」と話し、彼は今も感謝している。
また、「駐在員の方には迷惑がられるかもと思いながらタクシーに乗っていたが、到
着すると逆に歓迎された事も忘れられない」」とも話している。
ちなみに、彼は「ニュージーランド縦断サイクリングにおいては、入国から出国まで
良い思い出しかない」と、今も当時を思い出しては話している。
◎南 島
《 スターリング ポイント 》
1976年1月1日の彼の日記より。
オーシャン・ビーチ(Ocean Beach)を過ぎ、「A FRIENDRY WELCOME TO BLUFF」の歓迎標識を右に見て、ニュージーランド最南端の町ブラッフに入る。
風は物凄く強いが、まだ早いのでフェリー乗り場を探したり買物をしたりした後、道路の続くままに風に逆らって進むと……。
「南緯46度36分54秒、東経168度21分26秒」の地点にて道路は無くなっていた。
緯度と経度を示す標識と一緒に、世界および国内の主要都市の方向指示標も付けられており、「1323km CAPE REINGA」・「STEWART ISLAND 35km」と、出発地と目的地のもある。
何時でもそうだが、こういう物を見ると「来たんだ」と同時に「もう終わりか」という寂しい気持ちも……。
※「南緯46度36分54秒、東経168度21分26秒の地点について、彼は「現在の地図にはス
ターリング・ポイント(Stirling Point)と表記されている」と、「ニュージーランド縦断
サイクリング1975.12.-’76.1」のブログを書く際に調べた結果を私に教えてくれた。
このほか距離についても、「CAPE REINGAは1323kmから1403kmに、LONDONは
18912kmから18958kmに修正されている」と教えてくれた。
※「スターリング・ポイント灯台」については偶然に写ったもので、彼はその存在すら
全く知らず。
「フェリーから見えた時点でも灯台とは思っていなかった」との事で、はてなブログ
の「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」を書く際に写っているのを
見て調べ、初めて知ったと私に教えてくれた。
※なお、彼は「スターリング・ポイントの名前を知ったので、これを使用した」と私
に話しています。
「7.写真に残る岬、崎、鼻 など(※市町村名は2023年3月現在)」は、今回を以て終了とさせていただきます。
古い写真が多いため画像もはっきりしない物が多々ありますが、見ていただいた皆様には感謝申し上げます。
なお、何時になるかはわかりませんが、改めてテーマを決め当ブログにて「8」として公開したいと思っています。
Mont Blanc 拝