8.写真に残る峠、最高所、最高地点 など
※都道府県名および市町村名は国土地理院の地図による2023年4月現在
※標高は現地に表示のある場合以外は国土地理院の地図によるもので、おおよその高さを※を付して記載
※峠についてはバス停の表示があったものも含む
1998年11月23日。
八丈島の八重根港に接岸された「還住丸」の前で、彼は船長に「今日は必ず戻って来れますか」と聞いていた。
船長の返答は「今日は戻って来られるだろう」。
この一言で、彼は僅か30分の滞在時間を承知で青ヶ島に渡ることを決めた。
ちなみに、数日前に青ヶ島村役場に運行状況を照会した時は「この1週間は来ていません」との事。
次の機会が何時になるかも分からず、彼は『青ヶ島の地を愛車(私の事)と共に踏みたい』、その思いだけに賭けた渡島だった。
乗船券購入の際「自転車も1台」と言うと、船長と事務の女性に「走る場所が無いから持って行くな」と言われるも諦めきれず、彼が「自転車と共に島に立ちたい」と言うと渋々乗せてくれた事が思い出される。
この時、彼は島の状況が全く分かっておらず『30分あれば少しは走れるだろう』と思っていたが、2時間半後に着いた三宝港は岸壁以外に平地は無く、切り立った崖に沿って遥か高所に見えるガードレールや要塞のように打たれたコンクリートに圧倒されるばかり。
この風景を目にした時、「持って行くな」と言われた意味を理解した。
滞在はクレーンによる荷物の揚げ降ろしに要する時間のみで、私もクレーンで吊り上げられて岸壁に降ろしてもらい、彼と共に青ヶ島の地を踏むも、港を離れる事も出来ず滞在時間は瞬く間に過ぎ、私は最後の積み荷としてクレーンで船倉に運ばれた。
穏やかな海上を所要時間どおりに航行して帰港した際、船長は「自転車の料金はいらない」と彼と事務の女性に言った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あれから18年後の2017年11月7日。
前回の経験を踏まえ2泊3日の予定を組み、底土港から「あおがしま丸」で渡島。
海は荒れることなく、三宝港に接岸。
港や事務所は大きくなり、断崖に打たれたコンクリートは更に堅固になっていたが、漁船の係留施設や施設まで漁船を運ぶクレーンは変わっておらず、私達は改めて青ヶ島に来た事を実感した。
また、滞在中は意外に天候にも恵まれた。
ちなみに、青ヶ島ではテレビで港の状況が流され、運航状況も朝に村内放送で流されており、離島予定日は快晴で「予定どおり運航する」との放送が流れた。
三宝港に戻り私はコンテナに積載されたが、ほどなくして彼は「船は来ないかもしれない」と職員に言われ、改めて港を見ると、急に海が荒れ桟橋には波がかぶっていたと彼から聞いた。
それから、間もなく「接岸が出来ないため欠航が決まった」と職員から連絡を受けた彼は、朝に宿で「今日の宿泊は可能」と確認していたため直ぐに予約を入れ、八丈島で宿泊を予定していた宿にキャンセルの連絡をしていた。
そして、私はコンテナから降ろされた。
ちなみに、この日「あおがしま丸」は岡部地区から見える地点まで来ていたが引き返したとの事だった。
※「意外に天候にも恵まれた」について、彼は「雨男」で殆どの旅行で雨に遭っている。
ちなみに、彼は「初日と最終日だけは降らない事」を常に願っていた。
《 尾山台展望台 》
《 大凸部公園 》
《 三宝港 》