11.写真に残る空港および航空機
空港については乗り継ぎした空港も含めており、利用した航空機については偶然目にした機も含まれています。
なお、空港については彼の旅行の発着地になる事から、利用した回数から見ると殆ど写真はありません。
なお、この文章については、はてなブログの別ブログ「ニュージーランド縦断サイクリング1975.12-’76.1」から抜粋したものとなっています。
《 オークランド国際空港 》
1975年11月29日。
彼が実現する事は無いと思っていた「外国の土」を、生まれて初めて踏んだのはオークランド国際空港でした。
そして、私は「持って帰る」ことを確認され入国できたそうです。
ちなみに、彼は「英会話力はゼロ、英単語も殆ど知らない」という状況で出発。
この便でオークランド空港に着いた日本人は2名のみで、税関に向かう通路を歩いている時、現地で家庭を持っておられるAさんから掛けられた言葉は「日本の方ですか?」だった。
また、入国時の質問は全く分からなかったが、A さんが通訳して全て代わりに答えて下さったお蔭で、私達は無事に入国する事が出来たそうです。
1975年11月30日
空港にて気付いたのが、時差の3時間を進めたにも関わらず、腕時計を見ると1時間遅れていた事である。これはニュージーランドがサマータイムを採用しているためで、私はサマータイム自体を知らなかった。
午後1時35分 NACのチェックイン。
言葉が全く分からなかったが何とかOK。超過手荷物代(Excess baggage}請求されず。
10分遅れの午後4時45分に飛行機は離陸し、ファンガレイ(Whangarei)を経由して午後6時15分にカイタイア(Kaitaia)へ着くも、快晴であったオークランド(Auckland)が嘘のような雨模様である。
空港のロビーにて、出て来たカイタイア便のパイロットとスチュワーデスから話し掛けられ、全く訳の分からない会話を行った。
話の中で宿泊先について聞かれた際、野宿するつもりだったため「決まっていない」と答えた事が要因だと思われるが、心配してくれたクルーとNACカイタイア支店の職員の世話で、テ・カオ(Te Kao)に居られる日本のT漁業の現地駐在員の家に泊めて頂く事なってしまい驚くばかり。
1976年1月10日
朝食後、「明日はもう日本か!」と思いながら、自転車、サイクリング用品、土産その他で50㎏はあろうかと思われる荷物を持って受付に行き、タクシーを呼んでもらってこれらを積み込み空港に向かう。
空港に着き、空港に備え付けられている台車にこれらの荷物を乗せ、ニュージーランド航空のカウンターに向かう。
チェックインの際、機内預け荷物が50㎏はあるため超過料金を心配していたが、超過料金は全く取られず、荷物チェックも全く無かったのには驚く。
他の搭乗者を見ていると、物凄い量の荷物を預けているのには目をみはるばかり。
そして、チェックインと同時にカウンターで出国税2$を払ってから出国カードを貰う。
入国の際は飛行機の中で辞書を引きっ放しの孤軍奮闘状態だったが、今回は入国時と比べると信じられないほど進歩したもので、何も見ずに辞書を引くことも無く「1ヵ所」のみ残して埋まってしまった。
出国カードは未記入の1ヵ所を残したまま、「何とかなるだろう」と税関に向かう。
9時20分に通関。
出国カードについては未記入の1ヵ所に加え記入ミスが1ヵ所あったが、担当官が俺に話しを聞いて「未記入個所は記入、記入ミスは修正」してくれ、すんなりと通関できた。
※以下の写真は家族旅行で行った際のものです。