11.写真に残る空港および航空機(※市町村名は2023年12月現在)
空港については乗り継ぎした空港も含めており、利用した航空機については偶然目にした機も含まれています。
なお、空港については彼の旅行の発着地になる事から、利用した回数から見ると殆ど写真はありません。
[1] 東京都① 大田区
1975年11月28日。彼と私は「ニュージーランド縦断サイクリング」をするべく、生まれて初めて飛行機に乗った空港で、最も感慨深い空港でもある。
飛行機は日本航空(JAL)の午後8時55分発シドニー行き771便で、機種はDC-8だった。
しかし、英会話力ゼロの彼はシドニーでの乗継ぎが出来るか否かを最も心配していた。
なお、当時の彼の認識は「飛行機は余裕のある人の贅沢な乗り物」で、「一度は乗ってみたいが、乗る事は無いだろう」と思っていた。
また、着陸直前に機内放送で名前を呼ばれたのが2回あるが、これも忘れられないらしい。
1回目はビッグバードが出来て間もない1995年6月。
小松から旭川に向かう時に経由した際で、「当社(JAL)の地上職員により乗り継ぐANAのカウンターまで案内する」と言われ何故と不思議に思ったが、両社のカウンターが対極に位置し非常に距離がある事によるものであった。
彼は「案内がなかったら時間的に焦ったかも」と旭川空港で組み立てられた私に話した。
2回目は何時だったかは忘れたが、女満別から羽田経由で小松に帰る際。
この時は女満別が荒天のため出発が非常に遅れ、彼も「時間的に乗継は無理かな」と思っていたが、「地上職員が車でタラップの所に待機しており、乗継ぐ航空会社のカウンターまで送らせていただきます」と言われて安心したらしい。
この時は「一番先に降りるよう手配され、タラップに横付けされた航空会社の車に乗って乗継航空会社の出発ロビーカウンターに直接案内され、一切の手続きをしてくれたお蔭で帰る事が出来た」と、小松空港で輪行袋に入った私に話した。
このほか、小松から乗り継いだ釧路便では「機長のアナウンスで『この機はこれが初飛行です』と聞いた」と彼は組み立て中の私に話しており、私達にとってこの便は最初で最後の初飛行でのフライトだった。