「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った

サイクリングで駆け巡った彼との45年間

5.特に印象に残っている全都道府県の思い出[20]長崎県

彼と走った思い出は枚挙にいとまがないが、特に印象に残っているものを紹介したい。

 

(41)長 崎 県

1975年8月6日。

2回目の日本縦断の目的地、福江島の大瀬崎に着く。

 

彼の当時の記録には次のようにある。

「8月6日、とうとう最終日である。根室を出発以来、寮での休養日を含めて18日間。のべ3000キロ以上の走行にピリオドを打つ。

福江島は意外に道はきつく、峠が二つもあったのには驚き。

しかも、玉之浦の手前から大瀬崎へ続く道ときたら舗装とは名ばかりで、あちこち穴があいているし勾配も相当なものだ。

しかし、そこを越しながらフト目を移すと、眼下には夢にまで見た大瀬崎灯台が立っているのが見え、俺は愛車を抱えるようにして下る。

この道はとんでもない勾配に加えてケタはずれの悪路。しかも、愛車にはフロントにしかバッグと寝袋の荷物をつけていないので岩や石に当たるたびに後輪がはずみ、体に当たることも。

それでも、10時ごろ何とか灯台のふもとに愛車ともども下ることができた。

大瀬崎断崖に立つと灯台の前には、青々と広大な東シナ海が広がっている。

そして、旅は終わった。

旅行者たちが俺の自転車を見てビックリしていたが、自分でもよく あんな急な崖道を下りてきたものだと思う。

人もあまり多くなく、納沙布岬とは別な趣のある最果ての地だ。

これからは、長崎に戻り列車で福井へ帰るのみである」。

 

彼はこの旅行で写したスライドを全て失くしてしまい悔やんでいるが、「この旅行で あらためて日本は広くて美しく、優しさに溢れていると思った」と今も話している。

 

なお、この旅行の写真は当ブログの「2.5つの目標について」と「4.三大サイクリングについて[1]」にある、スライドから写真にした納沙布岬での1枚のみが残っている。

※「寮での休養日」は1日

※「峠が二つもあった」について、福江⇔玉之浦間は県道27、31、164号線および現在   

 は欠番の20号線(現50号線)を走行

 

 

2004年7月10日の外海町

西海橋を渡り、国道202号線を進んで神浦に着いた時には日没で薄暗かった。

 

宿泊できると聞いた公民館を訪ねるも、この日は選挙の投票所になっている事から宿泊できず、近くにあった1軒の旅館も「玄関で声を掛けるも、誰もおられないのか返答がなかった」ため諦める。

このため、宿を探すべく長崎に向かって走り下大野まで進んだ所、道路沿いにT商店があったので、食料の調達と宿泊施設について聞くために入る。

 

この店で宿の所在を聞いた事がキッカケで、サイクリングについてご主人から聞かれるままに体験を話していると、その間に奥様が事務所にラーメン等を用意して下さり、ご厚意に感謝しながらいただく。

食べ終えて出発しようとすると、ご主人から「泊まって行け」と言われ、お言葉に甘えた。

彼は、これが見ず知らずの方に泊めて頂いた最後となった。

 

お蔭で大野教会堂の存在を知り、翌日 修復中と聞いた同教会堂に行ったところ、解体修理のため全体が覆われており、建物を見る事は出来なかった。

このため、案内板と一緒に私を映していると工事の方が作業に来られ、その方から「中を見て行かれますか」と声が掛かる。

修復中の大野教会堂を見せて頂ける事になるとは夢にも思っていなかっただけに、この時の写真を彼は宝物と言っている。

 

Tさんに泊めて頂いていなかったら、真っ暗な中を長崎に向け走っていただけに、世界遺産に登録された大野教会堂出津教会堂のほか、黒崎教会と各々が在る集落を目にすることは無かった。

 

部外者としては、世界遺産に登録された事に伴い観光地化するのではなく、私が目にした当時の姿のままであってほしいと思っているが……。

 

ちなみに、宿泊施設については下大野から約15㎞先の長崎市三重町まで無いとの事だった。

中央の一番奥に見えるネズミ色の高い建物が修復中の大野教会堂を覆う建物(2004.07.11)

大野教会堂の案内板と共に(2004.07.11)

修復中の大野教会堂(2004.07.11)

修復中の大野教会堂(2004.07.11)

出津教会堂(2004.07.11)

黒崎教会(2004.07.11)

 

なお、宿泊についての思い出としては、「私の完成が間に合わなかったため、白馬製作所が用意した代車」で1973年から1974年の年末年始に走った南九州での出来事。

「1月2日に島原を出て雲仙を越え小浜温泉に入るも、予約していなかったため予定していた公共の宿は満室で泊まれなかったが、応対された女性の方が『ほかの所を聞いてみますね』と言って連絡を取ってくれ、小浜温泉にある他の宿を手配して頂き非常にありがたかった」と、37年ぶりに訪れた2011年7月17日に島原の港に下船した際、私に教えてくれた。

なお、併せて彼は「今にして思えば、正月だから満室が当たり前で甘かった」とも私に話した。