「行った、銀輪走(走った)、見た、知った」……そして残った

サイクリングで駆け巡った彼との45年間

2.5つの目標について

①日本縦断について

1974年7月18日。輪行袋に入った私を手にした彼はそのまま国鉄上野駅に向かい、午後4時発の「はつかり5号」で出発。24時間かけ夕方の稚内市に着いた。

私は国鉄稚内駅前の小さな旅館で組み立てられて産声をあげ、駅前周辺の道路で初めて走行。

20日宗谷岬から佐多岬までの日本列島中央部縦断に出発。彼はこの旅行をずっと「最大で最高の旅行」と話していた。

 

翌1975年7月20日には、これまでに本土で走行した事のない都府県を走る事を目的に根室市を出発。東行して納沙布岬に向かい、折り返し根室半島を一周して太平洋側を長崎県福江島にある大瀬崎まで東西ラインの日本縦断を行った

 

②全都道府県の走行について

1980年12月29日に沖縄県波照間島を走行して達成。

 

③民間人が行く事が可能な日本の東西南北端に立つについて

1974年7月20日宗谷岬、1975年7月20日納沙布岬、1980年12月29日に波照間島の高那断崖、1985年12月31日に与那国島の西崎に立つ。

彼と初めて見た時は全てが「最果ての地」と感じたが、納沙布岬を除いて再訪した際の光景は「観光地」。

時代の流れで仕方ないかなと言いながら彼も寂しそうにしていた。

 

④海外走行について

1975年12月1日から翌年1月3日にかけ、ニュー・ジーランドのレインガ岬からスチュワート島までを縦断。

 

⑤全都道府県の県庁所在地の走行について

2001年11月2日に福岡県の福岡市を走行。

これを以て私を手にした際の5つの目標を全て達成した。

 

彼と共に過ごした間の思い出は限りなく、特に印象に残っている一部を追って紹介させて頂きたいと思っている。

 

旅行においては出身地を聞かれる事が往々にしてあり、「福井県」と答えると福島県や福岡県と間違われ、余りにも知名度が低い事を実感。彼は実際に目にし、聞いた範囲で「福井県」の位置や観光地などを説明していた。

 

また、北海道では「ナイチ(内地)の人」、沖縄では「ヤマト(大和)の人」と言われたのも今では懐かしい。

 

[最東端]

納沙布岬(1975.07.20)

[最西端]

与那国島・西崎(1985.12.31)

与那国島・西崎(1997.02)

[最南端]

波照間島・高那断崖(1980.12.29)

波照間島・高那断崖(1997.02)

波照間島・高那断崖(1980.12.29)

波照間島・高那断崖(1997.02)

[最北端]

宗谷岬(1974.07.20)

宗谷岬(1985.06)

宗谷岬(1996.06.25)

宗谷岬灯台(1974.07.20)

宗谷岬灯台(1985.06)

宗谷岬灯台(1996.06.25)

スチュワート島・オーバン。貨客船「WAIRUA」から降ろされる私(1976.01.02)

JR博多駅前(2001.11.02)